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最高裁判所第一小法廷 昭和37年(オ)1200号 判決

上告人 西山正雄(仮名)

被上告人 佐川ミツエ(仮名)

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人樋渡道一の上告理由第一点について。

論旨は判例違反をいうけれども、原判決は、原審並びにその引用する第一審判決挙示の各証拠を総合考かくして、

被上告人が上告人の求婚に対し、真実夫婦として共同生活を営む意思でこれに応じて婚姻を約した上、長期間にわたり肉体関係を継続したものであり、当時者双方の婚姻の意思は明確であつて、単なる野合私通の関係でないことを認定しているのであつて、その認定は首肯し得ないことはない。右認定のもとにおいては、たとえ、その間、当事者がその関係を両親兄弟に打ち明けず、世上の習慣に従つて結納を取かわし或は同棲しなかつたとしても、婚姻予約の成立を認めた原判決の判断は肯認しうるところであり、所論引用の判例に牴触することはなく、所論は結局、原審の専権に属する事実認定を非難するに帰するから採用し難い。

同第二点について。

論旨は原判決に理由不備、判断遺脱の違法があるというけれども、原判決は、所論第一点について説示したように、上告人、被上告人間には婚姻予約が成立したことを認定しているのであるから、不当にその予約を破棄した者に慰藉料の支払義務のあることは当然であつて、被上告人の社会的名誉を害し、物質的損害を与えなかつたからといつて、その責任を免れうるものではない。又被上告人が第三者と情を通じ、被上告人みずから上告人との関係を破たんせしめたとの主張は、原判決の認定しない事実を前提として原判決を非難するものであるから、原判決には所論のような理由不備、判断遺脱の違法はなく、論旨は採用しえない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長部謹吾 裁判官 入江俊郎 裁判官 斎藤朔郎)

上告代理人樋渡道一の上告理由

第一点原判決は判例違反の違法ありと信ずる。

原判決は其理由に於て「控訴人、被控訴人共両者の関係を親兄弟にも打ち明けず世上一般の慣習に従い結納を取交したことも又同棲同様の生活を続けたこと認められないこと即ち両者の関係は全く両者間の秘事として行はれたものであることを認定しながら両者が長期間に亘つて肉体関係を許容した事実は将来正式の婚姻を為し得るものと信じたものであるから婚姻予約が成立したものであると判定して居るが、

抑々大審院が婚姻予約につき始めて法律上の効果を認めた大正四年一月二六日民事聯合部の判例の趣旨によれば「此の契約は其性質上当事者相互間に将来婚姻の成立を欲して誠実に之れが実行を期し確固たる信念に基いて為さるべきであつて予約成立の上は着々準備行為を為し或は慣習上結納の授受婚姻儀式の挙行或は夫婦同様の同棲生活を営む等の行為あることを普通の事例とする」と云いさればこそ之れを理由なく一方的に破る時は相手方は其為したる準備行為は徒労損失に帰し其社会的品位声誉が毀損せらるる等有形無形の損害を蒙るので此に予約不履行による損害賠償請求権を生ずるに至るのであると云うのである。

而して其後は右判例の趣旨に則り左記の様な下級裁判所の判決が為されて居るのである。

(一) 前橋地裁 昭和二三年(ワ)第六号同二五年八月二四日判決、下裁民集一巻八号一三二八頁

男が女に対し将来夫婦となることを希求して居る趣旨の手紙を書き送り又両者が夫婦となることを語り合つた事実があつても夫れは必ずしも誠心誠意を以て終生を誓う婚姻予約が成立したものと認められず斯様な男女間の性的交通がをされても享楽を旨とした私通関係に過ぎないから貞操蹂躪の損害賠償関係を生ずることはない。

(二) 大阪地裁 昭和二四年(タ)第三五号同二六年五月一五日判決、下裁民集二巻六五七頁

真面目に婚姻を予約したと認められない所謂閨房の睦言が取交はされても単なる合意の情交関係に過ぎず其後男が女をを顧みなくなつても慰藉料の請求は成立しない。

(三) 昭和五年(オ)第三一一七号同六年五月二七日判例

二一才の学生が下宿先の女と情交関係を結んで一子を儲けたとしても之れを以て婚姻予約ありと云うを得ず

(四) 東京地裁 昭和九年(ワ)第九一九号同一三年七月四日判決

男女が同棲生活を為すも挙式を為さず同棲生活につき双方共父母の同意を得たる事実なきこと其他を考うれば婚姻予約と目すべきにあらず。

而して本件当事者が情交関係を持つたのは昭和二七年九月頃であることは両者共に認むる所であり即ち両者共二一才の頃であり固より両者共何等独立生活を立てて居たものでもないし又其能力もなかつたのである。斯る両者が親兄弟にも告げず終生を共にすべき確固不動の意思を以て婚姻の予約を為すが如きは到底期待し得ないことである。両者の右関係は全く性的享楽を目的としたものと為すべきである。

又両者の関係は極めて秘密的のものであつた。此の点につき被上告人の実兄佐川義男は「正男は人目を忍んで歩いていた」と証言して居り其情交について被上告人は最初は同人の親戚方であり其後は忘れたと証言して居り上告人は浜辺或は物置きであると証言して居るのである。

右の事実に徴しても両者の関係は全く享楽的性交関係であり到底真面目なる婚姻予約の具現行為となすべきではない。

更に又被上告人は昭和二七年一一月たやすく姙娠中絶を為して居る事実がある。斯る重大事実につき両者共其親兄弟にも話さず極めて秘密裏に之を行つて居るのである。

此の点につき前記被上告人の実兄佐川は姙娠中絶については二回共当時知らなかつたと証言して居る。

若し夫れ両者間に確固たる婚姻の成立を期した予約があつたものとせば斯る場合速かに其婚姻の成立を計るべく或は親兄弟に打ち明けるとか其他何等かの準備行為を為すべきが当然であり条理である。然るに本件に於ては両者共其之れを為した事実は全然ない。

第二回目の被上告人の姙娠中絶については上告人は昭和二九年八月頃より慢性肝臓炎に犯され医療に親しむ身となつたので被上告人との情交関係は全然なかつたので其処置につき関係しなかつたことは其証言する所である。

而かも尚被上告人は其間他の男とも情を通した事実のあること乙第一、二、三号証並に西山勝三の証言する通りであり両者の関係は全く享楽的性交に過ぎないことまことに明かな事実である。

然るに原審は両者の情交関係が昭和二七年九月頃から同二九年八月頃まで(固よりそれは人目を忍んで断続的になされたもの)為された事実を以て何等婚姻成立につき準備行為もない本件を直ちに婚姻予約の成立ありと断じたことは前記御庁判例に反する違法ありと為すものである。

第二点原実は判断を遺脱し判例違反且つ理由不備の違法ありと信ずる。

両者の情交事実は前記の通りであり全く人目を忍んで為された秘事であつたから其婚姻の不成立により前記判例に所謂社会的に品位声誉を傷けた事実もなく又何等の準備行為もないから物質的損害もないに不拘原審は何等の理由も附せず第一審を支持し慰藉料として金一〇万円の支払を命じたことは前記判例に違反し且つ理由不備の違法あり更に又前記の様に被上告人が他の男と情を通じた事実は被上告人自ら上告人との関係を破つたものと為すべきに不拘此の点につき何等の判断もなさない事は判断遺脱の違法ありとなす所以である。

参考一

一審判決(函館地裁 昭三五(ワ)四〇四号 昭三六・九・一一判決 一部認容)

原告 佐川ミツエ(仮名)

被告 西山正雄(仮名) 外一名

主文

被告西山正雄は原告に対し金一〇万円及びこれに対する昭和三五年一〇月二〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告西山正雄に対するその余の請求及び被告西山三郎に対する請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告と被告西山正雄との間では原告に生じた費用の二分の一を同被告の負担その余を各自負担とし、原告と被告西山三郎との間では全部原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告等は連帯して原告に対し金二〇万円及びこれに対する昭和三五年一〇月二〇日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は、昭和二六年八月被告正雄から求婚を受けて承諾し、爾来事実上の夫婦として昭和三三年五月まで主として原告の父である佐川新松方において同棲同様の生活を続けてきたが、この両名の関係は、正式の式こそ挙げなかつたけれども互に愛和して婚姻の成立を希望していたので、将来婚姻をなす旨の合意により相互に婚姻への期待的地位を作り出すべき所謂婚姻の予約として、双方の近親者は勿論部落内衆目の認めるところであつた。そして、その後原告は昭和二七年一一月及び昭和三一年九月の二回に亘り妊娠したのであるが、いずれも被告正雄の要求により、不本意ながら初回は昭和二八年四月木古内町の産婦人科医院で、二回目は昭和三二年二月函館市の中村産婦人科医院でいずれも同被告同道の中で中絶の手術を行つた。しかるに被告正雄は昭和三三年六月頃から急に原告を疏んじ始めたので、原告は以後昭和三五年三月までの間自ら又は自らの親族を通じて同被告に対し再三再四意を翻して原告との婚姻予約を履行されることを懇願したが、同被告はその父である被告三郎の反対を理由に応ぜず、あまつさえ同年三月二五日訴外西山トミ子と事実上婚姻して、何ら正当の理由もないのに一方的に原告との婚姻予約関係を破棄した。ところで右のように被告正雄をして原告との間の婚姻予約関係を破棄するに至らしめたのは、原告と被告正雄との関係を知り且当初は両名の婚姻を承認していた被告三郎が両名の婚姻予約関係を断たしめんとし、被告正雄の実父たる地位を利用して、原告が西山家の家柄家風に合わないとか、或は原告が他の男と通じたとかの虚偽の事実を理由に被告正雄に対し原告を離別すべきことを強要したことに基因するものであるから、被告三郎も亦、自ら被告正郎に協力し同被告をして原告との婚姻予約を破棄せしめその婚姻の成立を妨げたものというべきである。そうであるとすれば、被告両名は共同して原告が有した婚姻予約上の権利を不法に侵害したものに外ならないから、これによつて原告の豪つた精神的障害を賠償すべき義務があるところ、原告が前記佐川新松の四女として生れ、松前町字清部の清部尋常高等小学校高等科を卒業し、その後は主として家庭にあつて家事の手伝いに従事し、満二一才の時初婚として本件婚姻予約に及んだものであること、被告三郎が建地、宅地、山林等を有する清部部落切つての資産家であつて、映画館を経営するかたわら、民生委員、漁業協同組合理事、部落会長を勤めるものであること、被告正雄が被告三郎の長男として原告と同じ学校を卒業し、漁船の機関士を経て五年前から父の経営する映画館の映写技師として家業の手伝いをしているものであることその他前記諸般の事情を綜合すると慰藉料としては金二〇万円を下らない。よつて原告は被告等に対し不法行為による慰藉料として金二〇万円及びこれに対する不法行為の後である昭和三五年一〇月二〇日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めるため本訴請求に及んだ、と述べ、立証として、甲第一万証、第二、第三号証の各一、二、第四号証を提出し、甲第四号証は昭和三〇年一一月三〇日撮影の原告と被告と被告正雄の写真である、と述べ、証人大谷ミチ、佐川義男の各証言及び原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立は不知と述べた。

被告等訴訟代理人は、請求棄却の判決を求め、答弁として、原告主張の事実中、被告正雄がかつて原告と情交を結んだこと、原告が昭和二八年頃妊娠し被告正雄同道の上木古内町の医院で中絶をしたこと、被告正雄が昭和三五年三月二五日訴外西山トミ子と事実上の婚姻をしたこと、及び原告被告正雄の学歴、被告三郎の資産、営業、役職、地位等は認めるが、その余の事実は全部争う、と述べ被告正雄の主張として原告及び被告正雄は相互に若気の至りから人目を忍んで或は浜辺において或は佐川新松方物置において時折情交を結んだのにすぎないのであつて、両名は同棲同様の生活を営んだわけではなく互に親兄弟にも秘密の全くの野合であつた。前記昭和二八年頃の妊娠中絶についても被告正雄は原告の要求により同道したにすぎず同被告において中絶を勧めた事実はないのみならず、原告は情交の当初からもし妊娠すれば中絶するから心配するなと放言していたのである。被告正雄は、原告と交際中船入澗工事のため清部部落にきていた潜水夫と原告の間に情交関係ありとの風評を耳にしたので詰問したところ、原告は自分の体で自分がやることに干渉をうけないと放言した事実があり、清部部落の山田金三と情交していることを現認した事実あるのみならず、更に原告は昭和三三年四月頃青森県から鱒釣にきていた一団のうち川村久一なる者と情交をしたこともあつて、これら原告の不行跡も亦、原告と被告正雄の情交関係が単なる野合であつて真意に基く婚姻予約ではないことを示すものである。そして、被告正雄は昭和二九年八月肝臓炎を患つたので、その後は勿論原告との情交関係もなく、暫く自宅で療養していたのであるが、病勢が悪化したので間もなく江良町の病院に入院、同年末やや回復して退院し、その後再び自宅療養を続けていたとにろ、昭和三一年六月頃に至り病勢が再び悪化したので檜山郡上ノ国対中外鉱業所の診療所において診断をうけた。ところが右診断の結果慢性肝臓炎であるから長期の治療を必要とするとのことであつたので、被告正雄は同村の中川清一方に寄宿して治療を受けることにしたのであるが、同年一〇月頃原告に対し書簡を以て自己の病状を告げ、相互のため一切の関係を解消すべき旨申し送り、更に右中川に依頼してその了解を求めたところ、原告は函館で被告正雄と直接面談したいとのことであつたので、同被告は病をおして右中川と共に函館に出て原告と面談した結果、原告も同被告の真意を知り、相互に一切の関係を断つことを承諾したものである。かくしてその後被告正雄は治療に専念していたが今なお全治するに至らず、自宅において静かに父である被告三郎の経営する映画館の映写の手伝をしているものであるところ原告は昭和三四年四月頃突然訴外斎田タキを頼んで被告三郎に対し被告正雄が他の女と婚姻するとの風評があるが、そのことには異議はないけれども、被告正雄との妊娠中絶の費用として金一万千円を支払つてくれと申入れてきたので、被告三郎は右申出を真実と信じてその要求に応じ、一切の関係を解消することを約して金一万五千円を支払つたものである。以上の次第で、原告と被告正雄には婚姻の予約はなかつたし、又二回に亘り特に二回目には金一万五千円を支払つて一切の関係を解消する旨の合意が成立しているから、原告の請求には応じられない、と述べ、立証として、乙第一乃至第三号証を提出し、証人西沢勝三の証言及び被告等の各本人尋問の結果を援用し甲第一号証、第二第三号証の各一二の成立及び甲第四号証についての原告主張事実を認めた。

理由

まず被告正雄に対する請求について検討する。

成立に争のない甲第二号証の二第三号証の一、二証人大谷ミチ、原告本人の各供述に被告正雄本人の供述の一部を綜合すると、原告と被告正雄はいずれも出生以来松前町字清部に居住する旧知の間柄であつたが、共に二一才になつた昭和二六年八月頃原告は同被告から結婚の申込をうけ、原告自身もかねてから同被告に好意を抱いていたのでそれ以来同被告と交際を続けているうち、相互の愛情は益々強くなり、将来の結婚を誓いあつて昭和二七年九月頃には原告の親戚の家で始めて情交関係を結ぶに至り、以来昭和二九年夏頃まで、屡々物置小屋や浜辺等で同様な関係を重ねた外その後昭和三一年九月頃当時病気治療のため檜山郡上の国村にいた同被告と同村の旅館で会つた際にも同衾し、その結果二回に亘つて妊娠したがその都度同被告の希望により中絶手術を行つた事実を認めるに十分であつて、被告本人の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠と対比して措信することはできない。被告正雄は原告の不行跡をあげあたかも原告自身に同被告との将来の婚姻に対する真摯な意志がなかつたかの如く主張するが、その主張の川村久一なるものとの情交については証人西山勝三の証言によつて成立を認めうる乙第一、第二号証の右主張に副う記載は原告本人の供述と対比してにわかに措置できず、又被告正雄本人の供述中、昭和二八年夏頃原告が浜で山田金三と一緒に寝ているのを見たとする部分もこれのみを以て原告と同人との情交があつたことを確認するに足りないし、その他原告が当時被告正雄以外の男と情交関係があつたことを明確に知り得る証拠はない。そして以上に認定した事実によれば、被告正雄は真実将来夫婦として原告と共同生活を営むつもりで結婚を約束していたものであり、原告もいずれは同被告と正式に婚姻し得るものと信じたればこそ情交関係を結び将来の婚姻の実現を鶴首していたものと認めるのが相当である。尤も上記認定のとおり、原告と被告正雄は原告主張の如く同棲同様の生活を続けていたわけではなく、証人大谷ミチ、同佐川義男、原告本人の各供述によれば、原告、被告正雄とも二人の関係をその両親等に積極的には打明けようとせず、且それが故に結納の授受等世間の慣習に従う手続をとること等は勿論双方の両親の間で二人の結婚について話し合う機会をもつこともなかつたことが認められるけれども、だからといつて直ちに両名の関係を被告正雄主張のように若気の至りから出た単なる野合乃至私通の関係と解するのは相当でなく、前記のように男女が真剣に将来夫婦としての共同生活を営むことを約し、これに基いて長期間継続的に情交関係を結ぶに至つたこと自体婚姻予約についての当事者双方の明確な意思を看取するに足るものというべきである。

しかるに、証人西山勝三の供述並びに原告及び被告等本人各供述を綜合すると被告正雄は昭和二九年夏頃から肝臓炎等を患い同年末頃にはやや回復したが、昭和三一年夏頃から再び悪化したので、その頃から同年暮頃まで同被告の叔母の嫁ぎ先である檜山郡上の国村の中川清一方から同村所在の中外鉱業所診療所に通つて治療を受けていたこと、そして同被告は同年一〇月頃函館市内の旅館で原告と会い、このように病弱の体ではとても結婚は考えられない旨話したけれども原告の同意は得られなかつたこと、ところが昭和三三年五月頃から同被告は原告と会うことを避けるようになり、昭和三四年四月頃、原告が前記妊娠中絶の際同被告の希望により原告の姉から借りていた金員の返還を催促されたので、原告の母から被告等の親戚にあたる斎田タキにその旨を話したところ、同被告の父である被告三郎はその弟西山勝三をして金一万五千円を原告方に持参せしめ、その際右勝三は、被告正雄には原告と結婚する意思は全くない旨言明したこと、そして被告正雄はその後昭和三五年三月二五日に西山トミ子と事実上の婚姻をするに至つたことが認められる。ところで被告正雄が右のように原告との婚姻予約を破棄するに至つた理由についてはこれを確定するに足る資料はないけれども、被告正雄本人の供述する原告の不行跡は認められないこと前認定のとおりであるから、少くとも原告の責に帰すべき事由に基くものとは解せられず、いずれにせよ被告正雄は何ら正当の理由なく原告との婚姻予約を破棄したものであつて、右不法行為により原告の蒙つた精神上の損害を賠償する義務があること明かである。

被告正雄は、昭和三一年一〇月頃及び昭和三四年四月頃原告と合意の上一切の関係を解消し、特に昭和三四年四月頃には被告三郎から金一万五千円を支払つている旨原告と被告正雄間に右趣旨の和解契約が成立したかの如く主張するが、前者については被告正雄から婚約の解消を申入れたが原告の承諾を得られなかつたこと、又後者について金一万五千円は所謂手切金ではなく妊娠中絶費用であつたこといずれも前認定のとおりであるのみならず、右金一万五千円の支払によつて一切の関係を解消する旨の合意が成立した事実を認めるに足る証拠はないから、右主張は失当である。

そこで慰藉料の額について考えるに、成立に争のない甲第一号証の証人佐川義男原告本人及び被告正雄本人の各供述によると、原告は肩書住所地において佐川新松の四女として生れ、同地の小学校高等科を卒業して家事の手伝い等をしているうち満二二才で始めて被告正雄と結ばれ、爾来前記のように長年月に亘り同被告との婚姻を待望して交際を続けてきたのであるが、目下三一才で既に結婚適令期を過ぎ良縁を期待の難い事実、被告正雄は被告三郎の長男として生れ、原告と同じ学校を卒業したが、病身のため現在では被告三郎の経営する映画館の映写技師として家業の手伝いをしており、現に資産として目ぼしいものはないけれども将来はかなりの資産を相続しうべき地位にある事実を認めるに十分であり、これらの事実と前認定の諸般の事情を考慮して、被告正雄が原告に支払うべき慰藉料は金一〇万円を以て相当と認める。よつて被告正雄は原告に対し金一〇万円及びこれに対する婚約破棄の後である昭和三五年一〇月二〇日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

そこで更に進んで被告三郎に対する請求について審究するに、前記のように被告正雄が原告との婚姻予約を破棄するに至つた理由についてはこれを確定するに足る資料はないけれども、証人大谷ミチ、同佐川義男、原告本人の各供述によれば、被告三郎や前記西山勝三を含む被告等の親族において原告と被告正雄との婚姻について必ずしも賛成でなかつたことはこれを推認しえないではない。しかしながら被告等本人の各供述及び本件弁論の全趣旨によれば、被告正雄自身長期間の病気療養により原告と親しく会う機会が殆どなくなつたことや原告の不行跡に関する風評等を信じたこと等種々の事情が重なつて年月の経過とともに次第に愛情が冷却したことが原因をなしたものと推測することも亦不可能ではない。そして、本件婚姻予約は原告及び被告正雄ともそれぞれの両親にこれを積極的に打ち明けなかつたこと前認定のとおりであるから、被告三郎において世評等によりその事実を知つていたとしても原告主張のように同被告が当初は両名の婚姻を明確に承認していながらその後これを反対するに至つたと考えていることは困難であり、その他被告三郎が被告正雄に対し、原告が被告等の家柄家風に合わないとか、原告が他の男と通じたとの虚偽の事実を理由に原告との離別を強要したとの原告主張事実については、本件全立証によつても遂にこれを明かにすることはできない。よつて原告の被告三郎に対する請求は理由がないものといわざるをえない。

以上の次第で、原告の被告正雄に対する請求は前記説明の限度で正当として認客し、その余は失当として棄却し、被告三郎に対する請求は全部失当としてこれを棄却すべく、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を適用し、なお仮執行の宣言を付することは相当でないと認め、該申立を却下することして、主文のとおり判決する。

参考二

二審判決(札幌高裁函館支部 昭三六(ネ)三七号 昭三七・七・一〇判決 棄却)

控訴人 西山正雄(仮名)

被控訴人 佐川ミツエ(仮名)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決中控訴人勝訴の部分を除きその余の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の主張および証拠の関係は、控訴代理人において当審における控訴人尋問の結果を援用すると述べたほか、原判決事実摘示と同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

当裁判所は更に審究の結果、結局原審と同一の判断に到達し、(一)控訴人は真実夫婦としての共同生活を営む意思で被控訴人との婚姻を約し、被控訴人も亦将来控訴人と正式の婚姻をなしうるものと信じたればこそ肉体関係すら許容し、ひたすら婚姻の実現を待望してたいもので、両者間には被控訴人主張のとおり婚姻予約が成立したものというべきである。(二)もつとも、控訴人、被控訴人とも両者の関係を親兄弟に打明け、世上の慣習に従い結納を取り交わしたことも、被控訴人主張のように同棲同様の生活を続けていたことも認められないが、被控訴人は控訴人の求婚に応じ、交際を始め長期間にわたり肉体関係を継続した点において既に当事者双方の婚姻しようとする意思が明確に窺えるのであるから、婚姻予約の成立にはなんらの妨げがなく控訴人主張のように両者の関係を若気の至りからでた単なる野合ないし私通の関係にすぎないとは解し難い。(三)控訴人は被控訴人との間に一切の関係を解消する旨の合意が成立したと主張するけれども、控訴人の婚姻解消申入に対しては被控訴人の承諾がなく、控訴人に交付された金一万五千円は妊娠中絶費用でいわゆる手切金とは認め難く、右主張は理由がなく、控訴人は前記婚姻予約をなんら正当の理由なくして破棄したものであるからその責を負い、これによつて被控訴人に与えた精神上の苦痛を慰藉するに足る金員を支払うべき義務があり、その額は金一〇万円が相当である。と判断した。控訴人が新に当審で援用した控訴人尋問の結果中この認定に牴触する部分は措信し難い。それゆえ、原判決の理由中控訴人に対する請求についての説示部分をここに引用する。

よつて、本件控訴は理由がないから民事訴訟法第三八四条によりこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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